没入モグラのエロゲ館 blog

エロゲの考察、レビュー記事を不定期更新♪ 

エロゲがなぜ抜けないのか? 工事中

 

タイトルだけだと

実にくだらないことな気がしてきた。

単に抜けないエロゲへの不満から書いてます。(抜けなかったタイトルは書きたくねえ)

 

補足すると

エロゲの中だけのHシーンだと抜けないというもの。

窮屈に感じる。そもそも自分が考えたわけじゃないし、

誰かから与えられるだけでは

フラストレーションが溜まる。 

それをどう解消したらいいのか?が課題。

(ことはエロゲだけの話にあらず) 

 

先に結論(答え)を書いとくと

二次創作(観測作業)しようという話。

 

そんで下記に、その解釈(駄文)を。

 

麻雀を題材とした漫画「咲-saki-」の作者:小林立さんがブログで

自分の作品である咲を、直接実際に行って作中の彼女達と会話してしてきたかのような

見てきたかのように語るのが大変面白く、こちらもその体(てい)で

この記事を書いてみる。

 

つい最近もちょくちょくツイッターで見ているイスラームに詳しい人が、

自分の好きなキャラを、「~ちゃんはもともと存在しているんだよ。だからこうして世に作品として現れることができた」と興味深いことを言っていた。

なるほど、その発想はなかった。

 

それに影響を受けて、なぜエロゲが抜けないのか?

一計を案じる。

彼女達は、この世界に存在していて

エロゲの中で見えるのは、そのごく一部ととらえるのはどうだろう?

 

 

 

いろんなプレイを思いついて妄想してみたり、

ヒロインたちにいろんな顔があると、いろんな日常があると。

そのへんを掘り下げてみると変わるかも。

 

何もエロゲだけに映る彼女らを追う必要はない。

それ以外の日常も存在していて、ただそれはエロゲの中では(観測し、表現する媒体)

描かれていないだけ。彼女達は存在している。

 

 エロゲの枠内で完結させる必要はないと知って、

大変楽だ。こんな発想があったとは。

 

 

 

 

 

まあ、今更だよねという話。

 

こんなことは、とっくに私以前から満足できない人たちが

高いクオリティで二次創作してきている。

ただ、他人が作ってくれると依存、期待して自分の妄想を

(世界の観測⇒それを何らかの媒体で表現する)

放棄せずに自分で常日頃からそれを作る能力を磨いたほうが

フラストレーションが溜まりにくいのではないかなと。

こうやって解消しようという試み、アンガーマネジメント。

 

 

製作者にはその作品を産み出してくれたこと、

彼女達に出会わせてくれたことは感謝感激。

そしてその上で

与えられたものだけに満足していられるほど充実したライフを送っている

わけじゃなし。(涙)そうする必要もないほど、欲求が解消されてるなら

こうしたことも考えなかったんだろうなあ、おそらく。orz

 

 

どうも買った値段分満足しようという思いにしばられていて

それが自分を苦しめていたんだね。

もっと枠(エロゲでもアニメでも)から出て

育んでいくような感じでとらえると、気持ちは楽だ。

なんかタルパを連想する。いやタルパか、これも一種の。

 

作品の世界観と自分の描くキャラのイメージが合わないとか、

余計なことは考えなくて良し。

そのキャラが好きなら、それのみ信じればいい。

けっこういろんなこと考え過ぎて、前に進めないことが多いから。

 

 

エロゲ、アニメ、漫画、一枚絵などから

どんどん拡張(正しくは観測)して(工事中)

 

 

 

 まあ、エロゲで抜けない理由は、

「ネコぱら」やってて思ったんだけど、

ノベルゲームだからか、テキストと画像が一致しない。

テキストに合わせて、画像も変わるほど枚数はないだろうし

実際に起こっていることは、”動き”なわけで静止画じゃない。

 

だから私達の現実と、ノベルゲームの仕様で

脳内で齟齬が起きてしまっている状態。それが入り込めない理由のひとつでもある。

 

 あとは主人公がマグロ過ぎるとか?

主体性があまり感じられないような?

(SMゲーとかだと、別かもしれんが)

 

問題点はけっこうあるかな。※ネコぱらに限ったことではなく。

ノベルゲーム(エロゲ)のシステムについて。